2008年11月16日

拉致被害者 市川修一さんの母トミさん死去 30年…再会かなわず

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 拉致被害者・市川修一さんの母死去


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 鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの母・トミさんが、15日、亡くなりました。91歳でした。

 トミさんは、1978年に修一さんが北朝鮮に拉致されて以来、30年にわたって救出を訴え続け、今年9月には、北朝鮮に向けて放送されるラジオ番組の収録に臨んでいました。

 トミさんの長男・健一さんは、「修一に会わせてやりたかったが、かなわなかったことが残念で悔しい」と話しています。(16日01:15)

 http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3995322.html

 

北朝鮮による拉致被害者・市川修一さんの母・トミさん死去 91歳

 
北朝鮮による拉致被害者・市川修一さんの母親・トミさんが15日午後、亡くなった。91歳だった。
トミさんは、30年前の1978年8月12日、鹿児島・日置市の吹上浜で、増元 るみ子さんとともに北朝鮮に拉致された市川修一さんの母親。
91歳のトミさんは、鹿児島県の自宅で、93歳の夫・平さんとともに、修一さんの帰りを待ち続けていた。
10月、トミさんは「修一の家族にね、元気で会うんだという決意で、年をとっても頑張ってます」と話し、修一さんの生存を信じ、「再会したい」と、帰りを待ち続けた。
20年前の取材にも、トミさんは「帰ってくることを確信している」と、力強く話していた。
トミさんは「今は連絡の取れないところにいるから。でも必ず帰ってくる」と話していた。
91歳になったトミさんは、毎日家族の食事を作ったり、散歩をしたりして、健康の維持に努めていた。
トミさんは「(修一は)やさしい子でね、親思いの子でね。それが、やっぱり今でも思い出すと涙が...。わたしと夫が元気でいるうちに帰ってきてほしい。それだけが願いです」と話していた。
トミさんは、2008年に新築した自宅に、修一さんの部屋も造っていた。
しかし、修一さんとの再会の願いは、結局かなわなかった。
市川修一さんの兄・健一さんは、「『修ちゃんに会いたい』と、よく言ってましたからね。親が子どもに会わずに亡くなるということは、本当に悲しいですよ」と話した。
2002年に小泉元首相が訪朝した際、北朝鮮は、修一さんがすでに死亡していると報告している。
北朝鮮は拉致を認め、一部の被害者が帰国したが、その後、拉致問題はこう着状態が続いている。
拉致被害者の親が高齢になる中、家族らは、一刻も早い解決を求めている。

(11/15 21:08)

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00144177.html

 

 

訃報:北朝鮮拉致被害者の母、市川トミさん死去 91歳

市川トミさん=鹿屋市輝北町の自宅で2008年5月11日、新開良一撮影
市川トミさん=鹿屋市輝北町の自宅で2008年5月11日、新開良一撮影

 鹿児島県の吹上浜で78年8月、北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)の母、市川トミ(いちかわ・とみ)さんが15日、同県鹿屋市内の病院で亡くなった。91歳だった。修一さんの拉致から30年。再会を待ち続けたが、願いはかなわなかった。

 修一さんの兄健一さん(63)によると、トミさんは10日朝、くも膜下出血のため鹿屋市の自宅で倒れた。同市内の病院で治療を受けていたが、意識 が戻らないまま、15日午後3時22分に亡くなった。葬儀は17日正午、鹿屋市輝北町上百引1930の上村葬祭輝北斎場。自宅は同市輝北町市成1126。 喪主は夫平(たいら)さん。

 修一さんは78年8月12日、当時交際していた増元るみ子さん(当時24歳)と共に、吹上浜で拉致された。

 健一さんは15日、「母に、修一をもう一度、抱きしめさせてあげることができず、残念で悔しい」と語った。また、るみ子さんの弟で、拉致被害者家 族会の増元照明事務局長は「被害者の親世代は年齢を重ねていることを、政府は肝に銘じ、拉致被害者の早期帰国に取り組んでほしい」と強い口調で話した。

【新開良一、福岡静哉】

http://mainichi.jp/select/person/news/20081116k0000m040064000c.html

 

拉致被害者・市川修一さんの母トミさん死去

 1978年8月に鹿児島県・吹上浜から北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)の母・トミさんが15日午後3時22分、くも膜下出血で亡くなった。

 91歳だった。告別式は17日正午、同県鹿屋市輝北町上百引(かみもびき)1930上村葬祭輝北斎場で。自宅は同市輝北町市成1126。喪主は夫、平氏。

 トミさんは10日朝、自宅台所で倒れて意識不明となり、病院で治療中だった。次男の修一さんが、交際中の増元るみ子さん(当時24歳)と一緒に拉致されてから30年間、息子たちの帰還と再会を切望しながら、願いはかなわなかった。

 同居する長男・健一さん(63)は「普通なら大往生といえるが、修一が帰らず、会わせられなかったことが残念で、悔しい」と涙ながらに語った。

 拉致被害者家族会事務局長で、るみ子さんの弟・増元照明さん(53)は「2人の生還をもう少し待っていてほしかった。拉致被害者の親世代の高齢化が進み、時間がないことを政府は肝に銘じてほしい」と語った。

2008年11月15日20時28分  読売新聞)
 

 

 

横田 めぐみさん拉致から31年 新潟市でめぐみさんの両親らが拉致問題の全面解決訴え

 

横田 めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから、15日で31年がたった。新潟市では、めぐみさんの両親らが、拉致問題の全面解決を訴えた。
新潟市で、当時中学1年生だった横田 めぐみさんが、中学校からの帰宅途中に北朝鮮に拉致されてから、15日で31年がたった。
15日午後、新潟市で開かれた県民集会で、めぐみさんの両親・滋さん、早紀江さんは、会場のおよそ500人を前に「拉致問題解決には世論の働きかけが必要だ」と話した。
横田 滋さんは「新潟の皆さまが、ずいぶん長い間かかっても、ずっと関心を失わずに来ていただけるということは、非常に力強く、感謝を申し上げます」と話した。
横田 早紀江さんは「この問題を本当に1人ひとりが命がけで解決しなければ、日本はどんなことになっていくのか、わたしは本当に怖くなります」と語った。
集会には、佐渡市の拉致被害者・曽我 ひとみさんらも出席し、次々に拉致問題の早期全面解決を訴えた。

(11/15 18:56 新潟総合テレビ)

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00144174.html

 

 

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて31年目に開かれた「忘れるな拉致 11・15県民集会」=15日、新潟市中央区の新潟ユニゾンプラザ

拉致解決求め新潟で県民集会

  新潟市で中学1年生だった横田めぐみさん=当時(13)=が北朝鮮に拉致されてから31年たった15日、拉致問題の全面解決を目指す「忘れるな拉致  11・15県民集会」が新潟市中央区の新潟ユニゾンプラザで開かれた。めぐみさんの両親の横田滋さん(76)、早紀江さん(72)夫妻が会場を埋めた約 450人を前に、「命ある限り拉致解決に向けて頑張っていく。どうか力を貸してほしい」と訴えた。

 新潟日報社と県、同市が主催し、BSN新潟放送が協力した。

 早紀江さんは「新潟の海岸線を『めぐみちゃん、どうしていないの』と走り回り、知らない町のアパートや車の助手席を何度ものぞき込んだ」と失跡当時を振り返り、「大切に育てた命を紙くずのようにさらった北朝鮮に、政府はもっと怒ってほしい」と声を振り絞った。

 滋さんは米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除したことについて「米国はほかにも制裁をかけており、解除はそれほど影響はない。日本政府が独自に強い姿勢を見せれば解決の道筋が見える。そのためには世論が大切だ」と支援を訴えた。

 冒頭、新潟日報社の高橋道映社長が「私たちは拉致問題が解決するまで一歩も引くわけにはいかない」とあいさつ。内閣官房拉致問題対策本部事務局の河内隆・総合調整室長が政府の取り組みを説明した。

新潟日報2008年11月15日

http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=140743

 

横田さん、当時の署長と面会

 

新潟中央署長だった松本瀧雄さん(左)と再会した横田滋さん、早紀江さん=新潟市中央区の新潟ユニゾンプラザ


  拉致被害者横田めぐみさんの両親滋さん(76)、早紀江さん(72)は15日、集会参加のために訪れた新潟市で、拉致発生当時新潟中央署長として捜査に当 たった松本瀧雄さん(84)と25年ぶりに面会した。松本さんは「解決できず申し訳ない気持ちは今も変わらない」と積年の思いを伝えた。

 面会では冒頭、滋さんが「ダイバーを海に潜らせて消波ブロックの裏まで探すなど、他県に例を見ないほど調べてくださった」と感謝。松本さんは当時の捜査を振り返った後、「(めぐみさんが拉致されてからの)31年というのはあまりに重い」とかみしめるように語った。

  面会後、取材に応じた松本さんは、横田さんと手紙のやりとりを続けてきたことを語り、「めぐみさんが日本にいる間に保護・救出できなかったことが、結果的 に31年という年月につながってしまった」と述べた。早紀江さんは「私たち家族と同じように、ずっと分からない、どうしてという思いで突破口を考えてくれ ていたことが、あらためて分かった」と話していた。

新潟日報2008年11月15
 
 
 

「世界に聞こえるように怒っていい」横田早紀江さん訴え

横田めぐみさんの拉致から31年。新潟市で開かれた集会で、救出を訴える母・早紀江さん

 13歳だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて31年たった15日、早期救出を求める集会が新潟市で開かれ、約450人が参加した。

 拉致被害者の曽我ひとみさん(49)らが、めぐみさんの母・早紀江さん(72)が娘を思って作詞した歌「コスモスのように」を合唱した。

 講演した早紀江さん(72)は、北朝鮮が拉致被害者の再調査を拒否したことに触れ、「日本政府は世界に聞こえるように怒っていい。そうしないと世界になめられる」と訴えた。

 父・滋さん(76)は集会後、「オバマ次期米大統領は対話路線ということだが、強硬でないとダメという意見もある。核問題も含め、一日も早く解決してほしい」と、報道陣に語った。

2008年11月15日19時35分  読売新聞)
 


拉致被害者市川修一さんの母トミさん死去 91歳

2008年11月15日19時21分


写真市川修一さんの同級生らから今年の母の日にランを贈られたトミさん(左)=鹿児島県鹿屋市輝北町

 78年に鹿児島県日置市の吹上浜海岸で北朝鮮に拉致された市川修一さん(行方不明当時23)の母市川トミ(いちかわ・とみ)さんが15日午後3時22分、くも膜下出血のため死去した。91歳だった。通夜は16日午後6時、葬儀は17日正午から同県鹿屋市輝北町上百引1930の上村葬祭輝北斎場で。喪主は夫平さん。

 トミさんは10日朝、自宅で倒れ、病院で治療中だった。息子の帰りを待ち続けて30年。再会はかなわなかった。

http://www.asahi.com/obituaries/update/1115/SEB200811150009.html



拉致被害者 市川修一さんの母トミさん死去 30年…再会かなわず

2008年11月16日 00:11 カテゴリー:社会 九州・山口 > 鹿児島
元気だったころの市川トミさん=2006年9月、鹿児島県鹿屋市輝北町

 1978年に北朝鮮に拉致された市川修一さんの母、市川トミ(いちかわ・とみ)さんが15日午後3時22分、くも膜下出血のため鹿児島県鹿屋市の病院で死去した。91歳だった。

 事件から30年3カ月。息子の生存を信じて帰国を待ち続けたが、再会は果たせなかった。修一さんの兄健一さん(63)などによると、トミさんは9月に北朝鮮向けラジオ「しおかぜ」で放送する修一さんへのメッセージを自宅で録音するなど、最近までわが子の救出を願い活動を続けていた。今月10日朝に突然倒れ、入院していた。

 修一さんと恋人の増元るみ子さんは78年8月、同県日置市の吹上浜で工作員に連れ去られた。トミさんは夫の平さん(93)と鹿屋市でスーパーを経営し、修一さんの衣類を保管して帰国を待った。昨年12月に閉店してからは、いつ帰ってきてもいいようにと修一さんの部屋を備えた新築の家に住み「修ちゃんが帰るまでは」と毎日散歩して健康に気を配っていた。

 健一さんは「新築後は、見るのがつらいのか修一の部屋にあまり近づこうとしなかった」と振り返り「修一と会わせてやれなかったことだけが心残り」と涙をこらえた。

 増元さんの弟照明さん(53)は「私の父も、姉と再会できずに亡くなった。どうしてこんな目に遭うのか」と訴えた。

 市川トミさんの自宅は鹿屋市輝北町市成1126。葬儀・告別式は17日正午から鹿屋市輝北町上百引1930、上村葬祭輝北斎場で。喪主は夫平(たいら)氏。

=2008/11/16付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/59876




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