2009年06月14日

市川修一さんの失踪宣告取り消し、鹿児島家裁が決定

 
 
 


市川修一さんの失踪宣告取り消し、鹿児島家裁が決定
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090613-OYT1T00974.htm

拉致被害者:市川さんの失踪宣告取り消し 鹿児島家裁
http://mainichi.jp/select/today/news/20090614k0000m040109000c.html

市川さん 失そう宣告取り消し
http://www3.nhk.or.jp/news/t10013616161000.html

※本エントリーの一番下に記事を保存します。
※過去のエントリー
2008年11月16日
拉致被害者 市川修一さんの母トミさん死去 30年…再会かなわず
http://newsmedia2.seesaa.net/article/109736945.html









修ちゃんの部屋
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sein1234japan
2008年11月09日

北朝鮮による拉致は、現在進行形のテロ。
 その拉致被害者である市川修一さんご家族のご活動を追ったドキュメンタリー。
 
 自分のことで精一杯の日々、そんな中で同じ国民のことに、同じ国民として少し意識を向 ける。 そうしたことが、次世代により良い国を引き継ぐ一歩かなと思います。









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071212 待ち続けて29年「スーパー市川」閉店

nwctjp
2007年12月12日

拉致被害者、市川修一さんの実家、鹿屋市の「スーパー市川」が閉店することになり、き ょう店舗の取り壊しが始まりました。

拉致される直前に、修一さん自身も開店を手伝った、思い出の詰まったスーパー。

家族はどんな思いできょうという日を迎えたのでしょうか。

市川家がここで商売を始めたのは1954年。

修一さんが生まれた年でした。

その後、今の店舗「スーパー市川」に建て替えられたのが、あの1978年。

新装オープンの時は、修一さんも鹿児島市から駆けつけ、店を手伝いましたが、そのわず か12日後の8月12日、増元るみ子さんと共に、吹上浜で拉致されたのです。

店を切り盛りしてきたのは、主に母親のトミさんと兄の健一さん。

店番をしながら、修一さんの帰りを待ち続けてきました。

閉店を決めたきっかけは、店の前を走る国道の拡幅工事。

加えて、トミさんが90歳を超え、健一さんも、救出活動と店番の両立が難しくなってい るという事情も、決断を後押ししました。

29年余り、再会を待ち続ける家族。

来年、新築する家には、いつ帰って来てもいいように、修一さんの部屋も造ることにして います。

[12日19時11分更新]












田原総一郎「拉致被害者生存説は間違いだ!」

itomemo02
2009年05月08日

田原「田中均の秘密外交は正しかった。日本世論が騒ぎすぎるから頓挫したんだ。」「遺 骨が犬の骨かどうか、アメリカに再調査を依頼しよう。」
2009.04.24











「市川修一さん」拉致被害者パネル展8−2(H19.1.22)

TubuseSenbei
2007年01月23日

都庁展望室
「市川修一さん」拉致被害者パネル展
市川修一さんの思い出













市川修一さん宛ラジオ放送

2008-9-15星陵会館永田町














日本テレビ
ニュース
NNN
市川トミさんの告別式営まれる<11/17 18:01>

 鹿児島・鹿屋市で17日、北朝鮮に拉致された市川修一さんの帰国を30年間待ちながら、15日にくも膜下出血のため91歳で死去した母・トミさんの告別式が営まれた。

 告別式に参列した拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表はあいさつで、「修一さんが残されたご家族に絶対会えることを約束します。絶対に帰ってきます」と述べた。また、市川さんの兄・健一さんは「その思いがかなわぬまま(母は)旅立ってしまいました。残念で悔しくてなりません」と話した。


http://www.news24.jp/123255.html
















市川修一さんの失踪宣告取り消し、鹿児島家裁が決定
特集 拉致問題

 1978年8月に鹿児島県日置市・吹上浜で北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)について、鹿児島家裁が失踪(しっそう)宣告を取り消す決定をしたことがわかった。

 通知書は13日、兄・健一さん(64)(鹿児島県鹿屋市)に届けられ、健一さんは今後、鹿屋市役所で戸籍回復の手続きに入る。

 同家裁は86年、市川さんが拉致されたことを知らなかった家族が「戸籍が悪用されないように」などとして失踪を申し立てたことを受け、失踪を宣告。市川さんの戸籍は抹消されていた。

 しかし、2002年の日朝首脳会談で北朝鮮側が市川さんの拉致を認め、健一さんらは昨年6月から失踪取り消しに向けた手続きを進めていた。通知書は「78年8月以降も生存が推認できる」としている。

 市川さんとともに拉致された増元るみ子さん(同24歳)も失踪宣告により戸籍が抹消されており、増元さんの家族も戸籍回復を求めている。
(2009年6月13日22時54分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090613-OYT1T00974.htm













市川さん 失そう宣告取り消し

6月13日 23時44分



北朝鮮に拉致された鹿児島県出身の市川修一さんの家族が当時、「失そう」したと見なされ抹消されていた修一さんの戸籍を回復するため、鹿児島家庭裁判所に求めていた「失そう宣告」の取り消しについて、家庭裁判所は13日までに申し立てとおりに取り消すことを決めました。

市川修一さんは、昭和53年に、増元るみ子さんとともに鹿児島県日置市の海岸で行方がわからなくなり、その8年後に失そう宣告を受けて戸籍から抹消されました。しかしその後、2人は北朝鮮に拉致されたことがわかり家族は、戸籍を回復するため、去年10月、鹿児島家庭裁判所に失そう宣告の取り消しを申し立てていました。これについて鹿児島家庭裁判所は、北朝鮮が公式に2人を含む日本人の拉致を認めていることや、日本政府が、修一さんが死亡したとする北朝鮮の裏付け資料には疑問があり安否不明としていることなどから、失そうした日以降に修一さんの生存を推認することができるとして失そう宣告を取り消すことを決めました。修一さんの家族は今後、地元の鹿屋市役所で戸籍回復の手続きを進めることにしています。修一さんの兄の健一さんは「失そう宣告が取り消されほっとしている。一刻も早く戸籍を回復して、弟が帰ってくる準備を進めたい」と話しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/t10013616161000.html













拉致被害者:市川さんの失踪宣告取り消し 鹿児島家裁

2009年6月14日 0時50分

 鹿児島県の旧吹上町(現日置市)で78年に北朝鮮に拉致された市川修一さん(当時23歳)の戸籍回復を目指し、家族が失踪(しっそう)宣告の取り消しを求めた家事審判で、鹿児島家裁は11日付で「78年8月以降の生存を推認できる」として、取り消しを認めた。今後、本籍のある同県鹿屋市に審判確定証明書を提出すれば、修一さんの戸籍上の「死亡」が取り消される。帰国していない拉致被害者の失踪宣告が取り消されるのは初めて。

 修一さんは78年8月12日、吹上浜で増元るみ子さん(当時24歳)とともに北朝鮮の工作員に拉致された。その後、86年に2人に失踪宣告が出され、戸籍が抹消された。

 修一さんの兄健一さん(64)=鹿屋市=と増元さんの家族らは08年10月、宣告の取り消しを申し立てた。

 増元さんの弟照明さん(53)によると、増元さんの審判書はまだ届いていないという。【川島紘一】

http://mainichi.jp/select/today/news/20090614k0000m040109000c.html













市川さん「死亡」取り消し 「生存推認できる」と家裁
2009.6.13 22:14


市川修一さん
市川修一さん



 鹿児島県・旧吹上町(現日置市)で1978年に北朝鮮に拉致された市川修一さん=拉致当時(23)=の兄健一さん(64)=同県鹿屋市=が、修一さんの失踪(しっそう)宣告取り消しを求めた家事審判で、鹿児島家裁は13日までに「78年以降の生存を推認できる」として、申し立てを認めた。11日付。

 2週間の異議申し立て期間を経て、本籍のある鹿屋市役所に審判確定証明書を提出すれば、修一さんの戸籍上の「死亡」が取り消される。修一さんと一緒に拉致された増元るみ子さん=拉致当時(24)=についても、東京都内に住む弟照明さん(63)が同じ申し立てをしているが、まだ審判書は届いていないという。

 13日に郵送で審判書を受け取った健一さんは「あとは本人が帰ってくるのを待つだけだ」と一刻も早い拉致問題の解決に期待を込めた。


http://sankei.jp.msn.com/world/korea/090613/kor0906132219009-n1.htm


















市川修一さん「死亡」取り消し 鹿児島家裁「生存推認できる」


 市川修一さん



 鹿児島県・旧吹上町(現日置市)で1978年に北朝鮮に拉致された市川修一さん=失跡当時(23)=の兄健一さん(64)=同県鹿屋市=が、修一さんの失踪宣告取り消しを求めた家事審判で、鹿児島家裁は13日までに「78年以降の生存を推認できる」として、申し立てを認めた。11日付。

 2週間の異議申し立て期間を経て、本籍のある鹿屋市役所に審判確定証明書を提出すれば、修一さんの戸籍上の「死亡」が取り消される。修一さんと一緒に拉致された増元るみ子さん=失跡当時(24)=についても、東京都内に住む弟照明さん(53)が同じ申し立てをしているが、まだ審判書は届いていないという。

 健一さんは審判で、帰国した拉致被害者の一人が「北朝鮮の指導員に市川さんと一緒に生活しないかと言われたことがある」と証言したことなどを挙げ、日本で行方不明になった後の修一さんの生存を主張。家裁は「一切の事情を考慮すると、生死不明とされた後の生存を推認できる」と判断した。

 13日に郵送で審判書を受け取った健一さんは「あとは本人が帰ってくるのを待つだけだ」と一刻も早い拉致問題の解決に期待を込めた。
2009/06/13 23:59 【共同通信】

http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009061301000757.html











拉致被害者市川修一さんの母・トミさん告別式
2008年11月17日

【動画ニュース】
※動画はパケット定額制を設定の上、ご覧ください。

 北朝鮮による拉致被害者・市川修一さんの母親のトミさんが、15日91歳で亡くなりました。17日鹿屋市で行われた告別式には、親族をはじめ拉致被害者家族会のメンバーや支援者などが出席し、修一さんとの再会を果たせないまま亡くなったトミさんの死を悼むとともに、拉致問題解決への決意をあらたにしていました。

 親族代表(長男)市川健一さん「一刻も早く修一を母に会わせ胸に抱かせてやりたい一念でたたかってきた。その思いがかなわぬまま母は旅立った・・残念でならない」。市川トミさんは息子・修一さんとの再会を30年待ち続けてきましたが、願いを果たせないまま91歳で亡くなりました。トミさんの告別式は17日、市川家の近くにある鹿屋市輝北町の斎場で執り行われ、親族や知人のほか修一さんと一緒に拉致された増元るみ子さんのきょうだいや拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表・政府関係者などおよそ130人が参列しました。<弔辞>拉致被害者家族会・飯塚繁雄代表「残された家族に絶対修一さんを会わせると約束する。修一さんが、トミさんの墓前に”いま帰りました”と言う情景が私たちの頭にはある」。告別式では、麻生総理からの「拉致問題の解決に引き続き全力で取り組む所存です。トミさんのご冥福をお祈りします」との弔電も読み上げられました。読経が響くなか、参列者の間には修一さんとの再会の願いをかなえられないまま永い眠りについたトミさんを偲ぶすすり泣きが漏れていました。
<インタビュー>内閣官房拉致問題対策本部事務局 河内隆総合調整室長「拉致問題解決は時間との戦いだと痛感した」
増元るみ子さんの姉・平野フミ子さん「この思いをどこにぶつければよいか、わからないー。これ以上悲しい家族が増えないようみなさんの力をかしてください」家族会・飯塚繁雄代表「この問題をあと何年、いつまでやるのかー。家族の絆は誰にも侵されるべきものではない。問題解決に向けそれぞれが役割を果たしていかなければならない」


http://news.ktstv.net/e7511.html






 
「日本は拉致のアピールを」対北決議案採択で家族会
2009.6.14 01:08
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090614/crm0906140109001-n1.htm






 

(追加しました)


中国は北朝鮮に圧力をかけるべきか:時事辯論會(香港PHX)1

LunaticEclipse6
2009年06月11日







中国は北朝鮮に圧力をかけるべきか:時事辯論會(香港PHX)2






 
 
 
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